不動産市場の歴史的移り変わりから見えてくる、不動産投資の社会貢献とは!?

不動産市場の歴史的移り変わりから見えてくる、不動産投資の社会貢献とは!?

こんにちは。チリ毛(@chirigetravel)です。

この記事ではかつての不動産市場の状況について具体例をご紹介すると共に、不動産がどのようにして社会に貢献してきたのかをご紹介します。

 

日本国内の不動産市場の拡大は第二次世界大戦のあとから急速発展してきました。

戦後直後の頃は戦争の影響を大きく受けており、現在のように自由に引っ越しや一人暮らしが出来る状況ではありませんでした。

当時の状況を知ることで、現代がどれほど恵まれた状況になってきており、不動産投資がどれだけ今の社会に貢献してきたかが分かります。

 



一人暮らしは夢の生活

今でこそ「地方から東京に出てくるとき」、「遠方の大学に進学するとき」、「就職して社会人になるとき」に一人暮らしを始めることは一般的であり、そのようにする人は多いことでしょう。

しかし第二次世界大戦から時間が経っていない数十年前の日本では、学生や社会人が一人暮らしをするというのは、経済的な事情や住宅環境の劣悪さから、難しい時代が続いていました。

 

東京に出てきて一旗あげようと考えている人は大勢居たようですが、そういった人たちも今の時代のように一人暮らしをするのではなく、ほかの誰かしらと共同生活をするか、住み込みで働かせてもらうというのがほとんどでした。

 

有名漫画家の若者時代

当時の状況をよく表している事例をご紹介します。

藤子不二雄さん

漫画「ドラえもん」の作者である藤子不二雄さん。藤子不二雄さんはペンネームであり、実際には「藤本弘さん」と「安孫子素雄さん」の共同ペンネームであるということは、広く知られていることです。

このお二人の故郷は富山県の高岡市であり、二人が20歳の1954年に東京に上京してきました。

 

まず二人が東京に来て初めて暮らし始めたのが、安孫子さんの親戚の家でした。

親戚の家の二畳の和室を間借りし、机を置けばいっぱいいっぱいで寝るスペースもない窮屈な状況でした。

 

次に引っ越したのが東京都豊島区にあるトキワ荘という木造アパートでした。

この「トキワ荘」は手塚治虫などの著名な漫画家が多数入居していたこともあり、現在では「漫画家の聖地」とも呼ばれるような物件です。

四畳半の部屋にトイレや台所は共同で、風呂ついていないため近所の銭湯を利用するという状況だったようです。

手塚治虫さん

トキワ荘の先輩住人であり、「鉄腕アトム」や「火の鳥」など多数の有名漫画を残した手塚治虫さんも同じような境遇だったそうです。

1952年に上京した当初は東京都新宿区にある八百屋さんの2階に下宿していましたが、昼夜問わず出版社の編集者が出入りすることが苦情となり、トキワ荘に引っ越したそうです。

 

戦後からの変化の理由

上記の2例は代表的な話ですが、戦後しばらくの日本というのは、地方から上京してきた若者がいきなりアパートを借りて一人暮らしを始めるような環境は、金銭的にも住居的にも整っていませんでした。

 

そのため、まずは親戚など身内を頼り下宿ぐらしを始め、ある程度収入を確保するなど生活基盤を整えてから、風呂なし、トイレ共同の木造ボロアパートに引っ越すというのが当たり前だったのです。

 

そのような状況が大きく変わってきたのは、大きく2つの要因があります。

  • 日本全体が豊かになり経済的な余裕を持てる人口が増加したこと
  • 多くの人が不動産投資業界に参入し、アパートやマンションなどの部屋が市場に多く供給されたこと

 

上記の2つ、つまり先人の多くの方々が日本経済を立て直し、不動産投資業界に参入してくれたおかげで、現在私達は気軽にアパートやマンションを借りて一人暮らしを楽しむことができているのです。

 

まとめ

かつての不動産市場の状況と社会への貢献の歴史をご紹介しました。

 

以下の記事で不動産投資の意義についても紹介しています。

 

不動産投資はとても歴史が長くポピュラーな投資方法です。

そして今住む場所が潤沢にあり、好きな場所に住むことが出来ているのも、これまで不動産投資に関わってこられた多くの方々のおかげなのです。

そのバトンを繋ぐことも、不動産投資をやることの意義と言えるでしょう。

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この記事があなたのお役に少しでも立てば幸いです。